『ダメをみがく―“女子”の呪いを解く方法』(津村 記久子, 深澤 真紀)ダメをみがくとダメ人間を脱却するようだ

 日経ウーマンに関する本が無いかとOPACで探していて、この本がヒットした。
日経ウーマンオンラインというサイトで対談が連載されていたという。
対談形式のエッセイだ。

 

津村記久子とは芥川賞作家であるが、わたしは過去に作品を読んだことがなく先入観無しでこのエッセイに触れることができた。

 

「ダメ」にも度合いがあるようだ。
度合い、というよりは「ダメ」の方向性と言った方がいいかもしれない。

わたしが考える「ダメ」とは異なる認識の「ダメ」トークが繰り広げられている。

 

読み進めるうちにしゅるしゅると自信がしぼんでいってしまった。

「だって、この人たちバリバリに働いていて成果も出しているじゃないの」

自分に求める「ダメ」にどっぷりと浸かり、下には下がいると安心したい人にとっては、「ダメ」の方向性が自分の認識と一致していなければ読み進めるのが辛くなるエッセイかもしれない。

 

逆に考えると、どんなに成功しているように見える人も自分に満足はしていない、ということが分かる一冊だ。

生き辛さは誰しも抱えているのだということだ。

そういう前提のもとで考えると、自分ばかりが苦労していると思うのは間違いのように感じる。

間違いのように感じるが、やはり辛いものは辛いし、不幸自慢をしたくなってしまう。

 

やはりこの本の2人はダメではないから、完全な不幸自慢にはならず、どこか前向きなダメの追及に至っているのだろうと思う。

ダメと向き合っている。

やはりダメ人間ではない。

 

 

『死ぬこと以外かすり傷』(箕輪 厚介)臆病な凡人の感想文

 「行動しろ」「まずやってみろ」
Twitterで脱社畜を目指すブロガー界隈を観測していると、この「行動量こそ至高論」が溢れているように思う。

そういう意味で『死ぬこと以外かすり傷』はブロガーウケする書籍だと思う。

 

世の中では熱量を伴った成長が賞賛を受けるように思う。

熱中すること。夢中になること。

仕事と趣味の境目が曖昧になるほどに熱狂して取り組むこと。

新しい時代の働き方。

 

わたしは新しい時代の働き方に順応できる自信が無い。
飽きっぽい、器用貧乏。

物事を無難にこなすことを愛している。甘んじている。

そのくせ、プロと自分を比較して無力さに落ち込むこともある。

 

特別な、選ばれた者に憧れはある。

共感を得たいし、自分のすることが社会を変えたら達成感や満足感に繋がると信じている。

支持されたい。

 

社会に出て自分が周りと違いどこかおかしいのではないかと感じ、発達障害に関する本を手に取ったこともある。

やっぱり人と違うのはこわい部分もある。

 

そんなどっちつかずの自分が恥ずかしくなってくる。

 

物事を極めることにも恐怖があり、無意識のうちにストッパーがかかってしまう。

比較されるのがこわい、低評価を受けるのがこわい。

 

逃げて逃げて築き上げた安息の地は、幻だった。

綺麗なものを愛でて美しい世界を確立しようとしたが、不具合が生じた。

 

それこそ生きるか死ぬかの瀬戸際でスリルを味わう生き方の方が、収穫は大きいかもしれない。

「死ぬこと以外かすり傷」こう思える境地に達するには何が足りないのか。

勇気か。自信か。

 

自分が未完成のまま突き進むことにも恐怖を感じる。

完成形は具体的に思い描けないけれど、もう少しくらいできるはずと根拠の無いキャパを想定して実際の力量に落ち込む。

自虐できる逃げ場を確保して、言い訳がしたい。

 

自分と向き合うのがこわい。

裸の自分で勝負するのがこわい。

形の無いものや空想に怯えている。

 

かすり傷程度の傷すらつきたくない臆病な凡人は、圧倒されてしまった。

死ぬこと以外かすり傷

死ぬこと以外かすり傷

 

 

『それを愛とは呼ばず』(桜木紫乃)がエンターテイメント作品でよかった

たまに、元職場で本を選んでいる。

元先輩から「元気のないときには宗教の棚に近寄っちゃダメだよ」と小説の棚へ導かれた。

宗教の棚というのはNDC(日本十進分類法)でいうと000~199番台で、ビジネス書とは少し毛色の違う自己啓発本もぎっしりと並んでいる。
そういうわけもあって、その先輩は「近寄っちゃダメだよ」と言ったのかもしれない。

 

元気のないとき~回復してきたときこそ自己啓発本が手に取りやすいのだけどな…と思いながらも小説の棚の作者別、ア行~サ行辺りを先輩と一緒にウロウロしてみた。

「難しい本じゃなくて、パーッとした気分になる本を読まないと。」

小説は難しい。無心で小説の世界観にハマることができると読了できるのだが、たいていの場合は現実世界に引き戻されてしまう。
小説の主人公と自分を比較してしまい、自分の無力さに落ち込み始めると、読書は苦痛になってしまう。

 

今回先輩はしきりに恋愛小説を勧めたがっていたようにも見て取れたが、案内されたのは桜木紫乃のコーナーだった。

何冊かを書架から手に取ってパラパラとめくっては「うーん、違うな。次。」と取り替えている。

わたしはたいてい帯のキャッチコピーを見て読むかどうか決めるのだが、その先輩は本文の冒頭辺りをパラパラとめくって何かを確認していた。

 

「これだ。これを読みなさい。」

そう渡された1冊が桜木紫乃の『それを愛とは呼ばず』だった。

それまで桜木紫乃の作風を全く知らなかったので、単なる恋愛小説を渡されたのかと思った。

著者名の字面から、なんとなくおっとりとした穏やかで湿っぽい恋愛小説を想像しながらも、「わかりました。」とその本を読んでみることにした。

 

家に帰りしばらくは自分で借りた本を優先で消化していた。

ふと他人から勧められた本を読む経験というのを体験してみたくなり、『それを愛とは呼ばず』を開いてみた。

目次がある。地名と人物名が合わさった項目がいくつも並んでいる。

短編集だと読みやすいだろうなとか考えながら読み始めてみた。

 

2章目へ進んだとき、期待が裏切られた。あぁ短編集ではなかった。

腹をくくり小説の世界に少しずつ染まってみることにした。

 

そこには人生があったし、やっぱり登場人物の生き様と自分の無力さを比較してしまい落ち込んだ。

わたしよりもハードモードな人生を送っている登場人物たちでさえも物事を考え、自分の意思で選択し、しっかりと生きているのにわたしときたら。

ため息をつきそうになったが小説に没頭した。

 

ミステリーだとかサスペンスだとかのエンターテイメント作品は好まなかった。

純文学に分類されるような、読後がふわっとしたような気持ちになる小説だったら自分でも選んでいたかもしれない。

 

エンターテイメント作品は、人間が突き抜けていて痛快であった。

 

どんでん返しがあって、驚きをもたらしてくれる。

 

本から何かを学ぶことを強制されている世の中のようで窮屈に感じていたが、そうではなく、本を楽しむということがどんなことなのか少しわかったような気がしただけで収穫だった。

 

 

それを愛とは呼ばず (幻冬舎文庫)

それを愛とは呼ばず (幻冬舎文庫)